北観音山
 江戸時代の北観音山は屋根の無い山として巡行していましたが、天保4年(1833、江戸時代後期)からは鉾と同じ飾り屋根を付けた曳山として巡行しています。

 下り観音山ともいわれる南観音山とは車輪を共通で使用できたり、同じ所から取り寄せた2本の真松を抽選で使用を決ると説明されています。真松とは屋根の上に掲げている青々とした松葉を茂らす松の木です。

  北観音山がひときわ豪華な懸装品で飾られているのは、かって町内に三井家や松阪屋などの豪商が住まいしていた為だそうです。

 北観音山の山舞台に安置されている御神体人形は本尊の楊柳(ようりゅう)観音像と脇侍の韋駄天(いだてん)立像で、「上り観音山(のぼりかんのんやま)」とも呼ばれています。


破風の彫刻
 天保4年(1833)に片岡友輔により作られた破風の雲鶴図は精緻な鱗板木彫で彩色されています。。

下水引
 豪華に山を巻いている下水引きは金地に王侯行列を緻密に刺繍した「金地関帝祭礼王侯行列図伝」です。この下水引は百数十年ぶりに復元新調されたもので、平成27年の巡行で北観音山を飾りました。

 この頁の下の写真は四面のうちの三面の一部分です。

 二番水引は鮮やかな「牡丹唐草文」綴錦、三番水引は「金地牡丹文」錦織を掛けています。二番水引、三番水引ともに牡丹の花が美しく描かれています。

前懸、胴懸、後懸
 
インドや中東などで織られた絨毯の前懸、胴懸、後懸で北観音山を飾っています。

柳の大枝
 北観音山の右後から柳の大枝を差し出しています。

 楊柳観音の主旨に由来するといわれている柳は、後祭りの24日の巡行を終えた後に厄除けのお守りとして授与されています。

北観音山の山鉾町
 京都市中京区新町通六角下る六角町