御室仁和寺(おむろにんなじ)

 4月の下旬頃に御室仁和寺の二王門(南大門)から真っ直ぐ進み、中門をくぐって左に歩くと、高さが3メートル位で地面から花の枝を広げる桜の群落が満開です。

 桜の名所が多い京都で最も遅く咲くと言われている「御室桜」はサトザクラの一種で、花が低い事を「鼻が低い」にかけて、「わたしゃお多福、御室の桜。鼻が低うても人がよく。」と歌われ、「お多福桜」とも名付けられています。

 1994年(平成6年)に古都京都の文化財の一つとして世界文化遺産に登録された仁和寺は、真言宗御室派の総本山です。

 この寺院を西山御願寺として仁和2年(886年)に最初に創建したのは光孝天皇(平安時代前期の第58代天皇、在位884年~887年)で、2年後の仁和4年の宇多天皇(第59代天皇、在位887~897)の代に完成し、寺名は元号から仁和寺となりました。

 宇多天皇は寛平9年に醍醐天皇に譲位して退位した後、光孝天皇の遺志を継いで出家し、30余年もの長期にわたり法皇として真言密教の修行に励みました。仁和寺内の僧坊の法皇が御座する室を「御室御所」と称したことから御室が仁和寺辺りの地名になったと伝えられます。
 
 その後の1467年に発生して10余年も続いた応仁の乱で、仁和寺も他の寺院と同じく伽藍のほとんどを失い、近くに仮御所を設けた事もありましたが、門跡寺院の格調は守られ続けました。門跡寺院とは皇族・公家の方が出家して住職を務められる寺院のことです。

 仁和寺第21世門跡の覚深法親王が徳川家光(徳川幕府第三代将軍)に仁和寺再興を願い出たのは江戸時代初期の寛永11年(1634年)のことです。

 今に見られる仁和寺の現在の伽藍は徳川家光の協力を得て再建されもので、仁和寺の正面にあたる二王門(重要文化財)は左右に金剛力士を安置し、桁行が18.7m、高さが20.5mもある大きな門で、徳川家光が建立したものと伝えられます。

 二王門から真っ直ぐ北へ歩き中門を抜けて奥へ進むと国宝の金堂が建っています。この金堂は御所の紫紫宸(ししん)殿を移築したもので、本尊として阿弥陀三尊像が安置されています。 境内に建つ御影堂、観音堂、鐘楼、五重塔、経蔵も当時の建物で重要文化財指定されています。

 仁和寺の東側に普通車が100台ほど駐車できる駐車場があり料金は500円です。

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