大石神社は昭和10年(1935)に創建された新しい神社です。

大石神社 桜

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 大石神社の御神木は樹の高さが十メートル程もある大きな枝垂桜で「大石桜」と名付けられています。大石桜は京都市内の桜の開花より少し早く、3月下旬頃には地面に届くほどに花の枝を垂れて白い花を咲かせます。大石神社は京都の中心部から東に山を越えた山科区にあり、大石桜は「山科区民誇りの木」に指定されています。 鳥居から続く参道の両側に並ぶ桜も4月初旬には咲き揃います。

 大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を祭神とする大石神社は1935年(昭和10年)に内蔵助が隠棲していた地の近くに創建された新しい神社です。播磨国赤穂藩の筆頭家老であった大石内蔵助(大石良雄、1659~1703)は忠臣蔵の物語でよく知られています。境内に建つ宝物殿には、討ち入りの様子が描かれた「四十七士図屏風」などの赤穂義士ゆかりの品が展示されていて無料で拝観できます。境内摂社の義人社には天野屋利兵衛がお祀りされています。天野屋利兵衛は大阪堺の商人で武器調達等で討入りの為に貢献しました。

 播磨赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城松の廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬りつけたとして切腹させられた後、赤穂城を明け渡した大石内蔵助が山科のこの地に移り棲んだのは元禄14年(1701)です。この付近に田地を持っていた親戚を頼っての地に移り棲みました。山科には1年3ケ月程棲み、同志達と討ち入りの策を講じた後の元禄15年(1702)に江戸へ下向し、12月14日の深夜に47人の赤穂浪士は旧主浅野内匠頭長矩の仇である高家吉良上野介義央の屋敷に討ち入りました。

 赤穂浪士討ち入りの12月14日には兵庫県の赤穂市をはじめ全国で「義士祭り」が行われます。大石内蔵助をはじめ赤穂義士に深いゆかりのある京都市の山科では「山科義士まつり」が催行されます。四十七人の義士達が毘沙門堂からこの大石神社と岩屋寺までの行列で討ち入りの姿を再現します。

 別サイトの大石神社の桜(京都山科)の写真のページもご覧ください。
 大石神社の南隣の山の斜面に山科神社が鎮座しています。

大石神社の所在地
 京都市山科区西野山桜ノ馬場町
大石神社の参拝
 
境内自由
大石神社宝物殿の拝観
 
午前9時より午後4時、無料
大石神社へのバス
 京阪バス「大石神社前」下車徒歩2分