高瀬川一之船入跡は慶長19年頃に完成したものを規模を小さくして残しています。

桜の高瀬川一之船入跡

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高瀬川一之船入跡(たかせがわいちのふないりあと)
 高瀬川は京都嵯峨の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい、1554~1614)が慶長16年(1611)により計画、施工された運河で、鴨川西岸に並行して流れる人工水路の「みそそぎ川」の二条通の南から鴨川の水を取り入れ、賀茂川の西岸に平行しながら十条まで南下して、伏見区の京橋辺りで宇治川に合流する全長が11キロ余りの水路です。約8メートルの川幅を持つ運河は底が浅くて平たい為に、船底が高い高瀬舟を使ったことから高瀬川と呼ばれました。この交通の大動脈の完成により京都と商都浪速が直接水運で結ばれ、江戸時代の約250年、京都と大阪の人や荷物の活発な往来に大きな役割を果たしてきました。

 二条と五条の間に7ヵ所の船入(ふないり)が作られました。「船入」とは貨物の積み下ろしをする船留(ふなどまり)所で、その大きさは奥行133.5メートル、幅が16メートルある大きな堀割で作られていました。現在残されている堀割は奥行が11メートル余、幅が2.3メートル余と小さくして木屋町通二条下ルに保存されています。

 江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として国の史跡に指定されてる高瀬川一之船入跡には、復元された高瀬舟が見られます。当時を再現する荷物も積まれています。高瀬川の東に並行する道を木屋町通と名付けられていますが、ここには船便により材木問屋が多かったことに由来しています。

 高瀬川一之船入跡から南へ高瀬川沿いに桜並木が続きます。

 別サイトの高瀬川一之船入の桜と紅葉(京都の観光)の写真もご覧ください。

高瀬川一之船入跡の所在地
 京都市中京区木屋町通二条下ル一之船入町
高瀬川一之船入跡への電車とバス
 地下鉄「京都市役所前」下車、徒歩数分
 市バス「河原町二条」下車、徒歩数分